クレハとアヤハ 織姫が紡ぐ はじまりの物語
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池田には応神天皇の頃、大陸から呉織(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)がこの地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝説が残っています。池田市内には、この織姫伝説ゆかりのスポットがあります。織姫が水を汲み色染めした井戸があったとされる場所。現在は記念碑と松の木がある。江戸時代の地誌である「摂陽群談」(1701年刊)や「摂津名所図絵」(1798年刊)などでは、ここで織姫が糸を染めたところと伝えている。染殿井(そめどのい)祭神は呉織(クレハトリ)と仁徳天皇。通称「下の宮さん」。「上の宮さん」の伊居太神社と対をなしている。絹織物を呉服(ごふく)と称されるいわれの神社。謡曲の「呉服」で謡われている。毎年1月10日前後の「えびす祭り」は多くの人で賑わう。呉服神社(くれはじんじゃ)日本書記によると応神天皇が阿知使主、都加使主父子を呉に遣わして呉織(クレハトリ)穴織(アヤハトリ)を伴って摂津の国武庫に帰ってきたとされている。池田ではこの場所(猪名川)へ船が着いたと伝承され、江戸時代の「摂陽群談」(1701年刊)や「摂津名所図絵」(1798年刊)にも記載されている。唐船が淵(とうせんがふち)祭神は穴織(アヤハトリ)、応神天皇、仁徳天皇で通称「上の宮さん」。呉服神社が「下の宮さん」で対をなしている。本殿は織田信長に焼かれ豊臣秀頼によって再建。五間社流れ造り桃山時代建築の遺風を残す。伊居太神社(いけだじんじゃ)二人の織姫(クレハトリとアヤハトリ)がこの場所で夜遅くまで機を織り、天から七つの星が降りてきて明るく照らしたという。これが星の宮の名前の由来。伊居太神社のお旅所で池田氏も代々支援していた。毎年8月24日池田の「がんがら火祭り」に京都の愛宕神社から火をもらい受け、五月山に「大文字」を点火し、こどもたいまつ行列の火をおさめる場所となっている。旧能勢街道に面している。星の宮(ほしのみや)スポット織 姫MAPAMAPBMAPCMAPDMAPE資料提供:池田市・池田市観光協会
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